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談露館の歩み

2024.10.20

ホテル談露館 明治20年創業

 

ホテル談露館は、平成30年(2018年)おかげさまで138周年を迎えました。

創業しましたのは、明治20年(1887年)のこと、有栖川宮殿下の
ご来県で宿泊所を探していた山梨県の依頼に始まります。

創業者の中澤伸吉は、当時、現在地にて金融業を営んでおりました。

その屋敷は、中巨摩郡白根町飯野(現在の南アルプス市飯野)の
豪農だった生家を模して造った、蔵造り3階建ての豪壮なものだったということです。

 

談露館の歩み

 

明治20年、宮様の宿泊所となり、
談露館は旅館としての第一歩を踏み出しました。

 

「宮様の宿泊」…当時の感覚で考えると、これは大変なことであり、

それだけ中澤家への信頼が厚ったことが推察されます。

明治20年の甲府は、まだ「市」になっていませんので
(甲府市の誕生は、2年後の明治22年です)、
電話はもちろん、電灯も鉄道も水道もありませんでした。

このような時代に宮様の宿泊所となったことを契機に、
談露館は旅館としての第一歩を踏み出しました。

 

旅館・談露館は甲府の名門旅館へ

 

その後、旅館・談露館は順調に営業を続けることができ、
皇族方や各界の著名の方々にもご利用いただいて、
甲府の名門旅館として認められるようになりました。

初代当主・中澤伸吉は、当時の政界にも関わりが深く、
二大政党の一つ「立憲政友会」の山梨支部事務所が館内に設けられていました。

そのため、当館は明治以降数々の政治の舞台にもなり、
伊藤博文を始め、歴代の総理大臣も宿舎とされました。

また、多くの著名な画家や書家・文筆家(田能村直入、
松林桂月、下村観山、近藤浩一路、徳富蘇峰など)の逗留の場ともなり、
当館への為書きや手紙が残されています。

 

談露館の歩み

 

大正から昭和へ創業の時代

 

大正時代に経営はニ代目の中澤三鶴平に引き継がれました。
当時の談露館には、甲府城の一角にあった幕府の学問所「徽典館」

の門を移設した、風格のある木造の門がありました。

しかし、昭和になって自動車が普及してくると、
門は車の出入りに不便になり、当時の
山梨県議会議長・山口延勝氏に引き取られることになりました。

この門は現在も、上野原町棡原の山口邸の敷地内に建てられています。

 

1936

清里キャンプ場「清泉寮」建設のきっかけ

 

昭和11年(1936年)談露館に投宿したポール・ラッシュ博士一行は、
「日本聖徒アンデレ同胞会」の指導者訓練キャンプ場建設地を探していました。

それを知った三鶴平は、趣味の狩猟でよく訪れていた八ケ岳山麓の
「清里」を紹介し、自ら案内して清里キャンプ場「清泉寮」建設のきっかけを作りました。

このことが、現在の清里の開発の始まりになったといわれています。

1945

甲府大空襲、当時の談露館の建物が全焼

 

昭和20年(1945年)7月の甲府大空襲により、
談露館の当時の建物は全焼してしまい、
貴重な資料もかなり焼失してしまいました。

かろうじて焼け残りましたのは土蔵だけでした。

戦後の経営は、戦役から戻った
三代目当主・中澤富次郎に引き継がれました。

焦土からの復興はたやすいことではありませんでしたが、
この時土蔵の中に収蔵されていたものが役立ちました。

その後の改築の際、この土蔵は取り壊されましたが、
収蔵されていた品々の一部は現在も館内に展示されています。

 

1951 – 1963

政府登録国際観光旅館

昭和26年(1951年)には株式会社となり、
代表取締役社長に富次郎が就任し、
昭和38年(1963年)には政府登録の基準に合わせ「政府登録国際観光旅館」となりました。

 

1964

当館敷地内で温泉の発掘を始める

旅館経営のために温泉の必要性を痛感した富次郎は、
昭和39年(1964年)に近隣の旅館8軒に呼びかけ、
当館の敷地内で温泉の試掘を始めました。

 

1965

天然温泉を掘り当て、「源泉のあるシテイホテル」へ

 

翌40年(1965年)、幸いにして湧出温度46度という
高い温度の天然温泉を掘り当てることができ、
当館を源泉として他の旅館へ配られることとなりました。

この天然温泉は現在も豊富な湯量と良質な泉質を維持しています。
その為、談露館は掛け流しの天然温泉をいつでもお楽しみいただける
「源泉のあるシテイホテル」として知られるようになりました。

この天然温泉を使用した3階の露天風呂忖の客室もご好評いただいています。

 

そして今、旅館からホテルヘ

旅館からホテルヘ

 

昭和55年(1980年)老朽化した建物の改築を契機に、

それまでの木造の日本旅館から洋室を主とした

鉄筋コンクリート6階建ての「政府登録国際観光ホテル」になりました。

(「政府登録」の宿泊施設では、洋式の構造・設備を主とする場合、「旅館」ではなく「ホテル」となります。)

平成4年(1992年)現社長の四代目当主・中澤厚男の時に全館を新築して、現在の形になりました。

その後も、時代に合わせて施設のリニューアルや

新サービスの導入(高速インターネット・サービス等)をして、

談露館は名実ともに甲府を代表するシティホテルとして皆様のご愛顧をいただいています。

 

2024年、6月1日からは、シャトレーゼホテル談露館へリブランドいたしました。

いつの時代もお客様に満足いただける、「常に新しい老舗ホテル」

としてこれからも歩んでまいります。

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